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Author:1517
東京都内に住んでいます。地震などの災害に弱い木造住宅密集地域を省略して、モクミツ地域と呼ぶそうです。何が言いたいかというと、私はいまモクミツ地域に住んでいるということなのです。

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デジタルコンテンツ"産業"の終焉と寄付制度 

2010/08/22 Sun 12:23 - category:考えたこと

最近考えたこと。

最近、CDの売上が落ち込んでいるという。その原因として、音楽業界の偉いさんが主張するのはファイル共有ソフトや共有サイトによる違法なファイル送受信である。いっぽう、ネットの人たちが言うには、「別に1000円も出して買うほどの音楽が無い」
個人的にはこのどちらも、確かに原因になっていると思う。でも、音楽に高い金を出せなくなったのには、共有サイトなどで見れるのにもったいない、という感情も含まれるのかなぁと思う。

法律問題は別にして現実的な話をすると、技術的にファイル共有の流れをとめるのはかなり難しいのではないかと思う。データの扱いやすさを求めてコンテンツをすべてデジタルで流通させるようになったこととインターネットの発展によって、ファイルの複製・輸送はとてつもなく簡単になった。コンテンツ提供者がコンテンツを効率的に製造・流通できるということは、同時にユーザーによっても容易に複製・送信できるということだ。
一部技術的に複製可能な回数を制限したりという試みもあるが、結局そのデータは人間が視聴できなければ困るわけで、それならば視聴する段階で複製すれば(多少劣化はあるかも知れんが)問題ない。(極端な例としては映画館での違法録画とかスピーカーの電流をそのまま記録しちゃうとか)

技術的にファイル共有を止めることが不可能だとすると、共有できるけどやらないと言う状態にするほかない。それが人々の遵法精神や良心に訴えるやり方で、今年の初めからファイルのアップロードだけでなくダウンロードも著作権の侵害と見なされるようになった。しかし実際どれほど共有が減ったのかはよくわからない。著作権については著作権者が告発することではじめて取り締まりが始まるからだ。捕まってもそのコンテンツの正規料金を払えばいいだけだし。(ダウンロードの場合)  仮にもっと厳罰化して不特定の相手との送受信が減ったとしても、友人に借りるレベルのものは取り締まってないはずである。友人とネット上でファイルを送受信することを結局止められない。また、ネットでの繋がりが増大する中で、どこまでを友人で、どこからを不特定と定義するのか。


こうなると、共有はとめられずコンテンツ製作者はみんな食えなくなるような気がするが、実はそうでもないと考えている。(少なからず食えなくなる人はいると思うが) 重要な点はコンテンツを享受するユーザー側のモチベーションにある。ユーザーは、そのコンテンツを手に入れるのに余計な金を出すのがいやなだけでコンテンツ自体がなくなっても良いと考えているわけではないはずだ。漫画のスキャン画像がアップロードされて漫画家が食えなくなりその漫画が読めなくなるのは困るわけである。つまり、その漫画家がモチベーションを維持して漫画を描きつづけられる程のお金は与えられなければならない。

このユーザーとコンテンツ提供者の二つのモチベーションを結びうるのはもはや寄付制度しかないのではないだろうか。もし、ファイルの共有が止められないとするならば、それはつまりコンテンツと貨幣の等価交換が成立しないことを意味する。これまでは複製されたデジタルデータそのものとお金を交換していたわけだが、そのデータの入手コストが極端に下がってしまうとそれを払うモチベーションははっきり減退する。それを補う形で、寄付制度を浸透させることができるのではないか。

将来的な話として寄付の制度を語っているが、実は既にそういう状況は起こりはじめているように思う。インターネットの普及以前にもレンタルCD店が存在していて、単に楽曲を聞きたいと言うことなら借りた方が安いという状況があった。そんななかでも、本当に好きな音楽家の作品は借りるんじゃなくてCDを買うという行動をとったことはないだろうか。そこには、単にCDを所有したいという欲以外に、その音楽家を応援したいというモチベーションが含まれているんじゃないかと思う。名前忘れたけど海外のアーティストで、楽曲をフリーでネット配信して、その価格としていくら払うかを各ユーザーに決めさせた例もある。それにAKB48の例を考えてみて欲しい。音楽業界が不況のなか爆発的な勢力拡大を達成した理由は、単にコンテンツの載った媒体としてのCDではなく、それを買うことでAKBを応援したいという気持ちをつかんでいるからだ。(イベントへの参加特典とかもあるけど)

ちょっとまとめるとコンテンツの載った媒体(例えばCD)を買う理由は多分こんな感じだ。
1.その媒体自体を持つ欲求(所有欲)
2.その媒体に載った情報を得る欲求(鑑賞欲)
3.それを入手することで手に入る別の特典
4.そのコンテンツを作った人への賞賛・応援プラスこれからも作って欲しい
1,3はデジタルコンテンツじゃない部分に対する欲求でこれは単なるデータの共有によっては達成されないのでこれからも残る。一方、2を満たすコストがバカみたいに下がっているのである。しかし、2の欲求の価値が劣化するなかでも4の欲求は存在し続ける。既出のコンテンツそのものとの貨幣交換が成り立たなくなりつつあるなかで、目指すべきはそれを作ったということ自体に対する評価とこれから作られるであろうコンテンツへの投資である。


しかし、この寄付システムが成立するようになると、確実に困る人たちが存在する。コンテンツの複製と流通と宣伝の仕事をしていたコンテンツ産業の人たちである。今はまだAKBを見ても某プロデューサーによって、なんとかコンテンツを媒体に載っけてそれを買ってもらうと言うシステムになっているが、この無駄はいずれみんな気づいてしまうんじゃなかろうか。(いや、あの場合はAKBというビジネスモデルを盛り上げる彼に対する評価という理解の仕方も可能か)  コンテンツは全部ウェブ配信で課金もウェブ経由となれば複製・流通の仕事をする人は激減するし、宣伝も少数で十分だろう。そうすれば、アーティストの取り分も増えるし、もしその取り分をこれまでと同じにするならその分はユーザーに還元されるだろう。終わるのは"産業"の部分だけである。


デジタルコンテンツ製作者は、薄いモチベーションを持った多数派にリーチするものを生み出そうとしてはいけない。その多数派のモチベーションはファイルの共有によって達成されてしまうからだ。(その人たちも100円くらい払ってもいいやと思ってくれるならロングテール的に成り立つかもしれんけどね) もっと、自分のためならいくらでも出そうというマニアックな層を作っていくべきだ。その結果、コンテンツ享受者はこれまで以上にファン→マニア→オタク化していくことだろう。それは悪いことではない。むしろ芸術の産業化(広範な層に受ける芸術の大量生産・大量消費)と言う流れこそが間違っていたんじゃないか。歴史には詳しくないがもともと昔の芸術を支えていたのは少数のパトロンだったんじゃないか(ヨーロッパの貴族に雇われていた画家とか音楽家とか)。その後、産業革命以来の大量生産方式を芸術に対しても適用するようになってからおかしくなった気がする。
それに、現実的に考えると芸術家が受け取る金額も減るとは思う。しかし、それも決して悪いことではない。そもそも、芸術的な何かを生み出すモチベーションは、お金を得るためではなくて生み出したいというその行為自体に含まれるべきだ。(べきだし、僕はそういう作品の方が好きだ。) 芸術的活動をしつつ生存できればいいので、ある程度の人が支持すればそれほど難しいことじゃない。



作るのが好きな人が作って、それを好きな人が評価するというものすごくシンプルな基本の形に戻ることが可能になる。



書くの疲れた。でもなんだかんだいっても今は作る人たちには厳しい時代だなー。デジタルにできないモノを作るっていう戦略もあるけど。

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